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こんにちは。サイちゃんです。
プライベートブログも立ち上げてます)

 

ボクが小学生時代…..昭和50年代です。
その頃はいまのようにネットはもちろんないし、
テレビゲームもブロック崩し!wで喜んでる時代。

 

ゲームウォッチがやっと出てきたあたりかな。

 

地方で….田舎だし…..海と山に囲まれてる環境。
娯楽はマンガ本かテレビ、ときどきプラモデル作り。
ボクの場合はお絵描きもありましたが(笑

 

あとは、外遊びですね。
野球、ソフトボール。 サッカーも少し。
夏は海で泳ぎ、たまに釣りをしたり、
山へ行き基地作り、川でアユやザリガニとり。
冬はメンコやコマまわし、
凧も、竹を削り骨組みから手作りで飛ばしてました。

 

割とバランスよく、
外と内の遊びをしていたように思います。
自律神経も鍛えられて強くなるはずですw
(子供の外遊びは神経を強くします)

 

それは、やはり「その時代だから」ということだと思うんです。
その遊びで楽しむしかなかったという….・
コチラでも書いてますが、そのときに
いまのネット、ゲーム環境があったら確実にハマってるはずです。

 

子供はその時一番楽しいことに純粋にのめり込むはずですしね。

 

ボクらの地は、少し特殊かもしれないんですが、
海岸線沿いにひとまとまりの町(村)が
点々としている学区だったんです。
それぞれの地に、多くはないけど小学1~6年までまんべんなく
5、6人はいるという小さな小さな田舎。

 

なので、お互いに顔も性格もよく知ってるわけです。
で、遊ぶのも割と年齢バラバラで。ソフトボールのような
大人数が必要なときは1~6年まで駆り出されるんです。

 

自然と遊び方が継承されていくんですね。

 

上級生にバカにされながらwパシリをやりながら、です。
そこでストレス耐性がついていき、歳上との
距離の取り方を覚えていきます。
必要なことですw

 

人数が少ないとイヤでもやらざるを得ないため
球技も他遊びもそこそここなせるようになっちゃうんです。

 

余談ですが、自転車のパンク修理もド田舎ゆえ、
店が近所になく小3くらいでも自分で修理してましたし(やらざるを得ない…..)
両親が共働きなので、小4くらいから
休日の朝飯くらいは自分で作ってました。(美味くはないけど….)

 

人間、せっぱつまると意外になんでもできます(笑

 

その遊びの中で、
いま思うと、ずいぶんクリエイティブなことをしていたよな~
って思うものがありました。

 

誰がつけたか、その名も「ビー玉工場」!!!!
そう、たしかにビー玉では遊ぶんですが、なぜに「工場」なのか。
そこが妙というか、子供ながらに粋だな~なんて思うんです。

 

その遊び、こんな感じです。(画像参照)

これは季節はいつ頃かな~。
夏は暑かったんでやってなかったと思います。春と秋かな。
この「ビー玉工場」、
ピンボール(パチンコ)を、
浜辺の砂で作るイメージって考えると
わかりやすいかもです。

 

部品は、基本、砂浜に打ち上げられてる
廃品(洗剤容器、建材の破片、プラスチックetc)を
探し出して作ります。

 

落ちている古クギや、割とまっすぐな木の枝は、
ピンがわりに使えました。

 

2、3人でチームを作り協力して工場を1つ作る。
多いときで5、6個あったと思います。だから最低10人はいたのかな….
完成したら他チームの工場を回りつつ遊ぶ。
目的は「持ち玉を増やすこと」
この考えはもろパチンコですね。

 

工場のデザインはその場その場で臨機応変に。
揃った材料いかんで付け足したり、そいだり。
まるで粘土造形のように。

 

基礎は大きめの石を置いて、
そこに砂で肉付けして造形していくんです。
上級生は何年もやってるんでコツがよくわかってます。
大して時間をかけずに要領よく作り上げていってました。

 

ほとんどは濃色砂で製作するんですが、仕上げに白砂をかけると、
ビー玉のすべりをコントロールしやすくなったり、
砂を固くしたいときは、間をおきながら水をかけて固めていくんです。

 

そういうウラ技を含めて、
間近で手伝いながら下級生は手順を覚えていくんですね。
気付くと身についてるんです。

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他チームが良いモノを作ると、
それ以上のものを作りたい。
そういう競争心も少なからず出てきて、
創意工夫をしだします。

 

サイズで勝とうと思うときもあるし、
凝った仕掛けで驚かそうとしたり、
玉を持って遊びに来る「客」との
駆け引きも多少あったりもします。

 

人によって、2個当たりのところを
1個にしちゃったりw

 

そのあたりはコミュ力を鍛えられてたんですね。

 

まあ、そういう遊びが何十年も継承されてたのかもしれません。
誰が最初にこの遊びをしていたかなんて
興味もなかったんで聞いたこともない…..
いまとなっては分からないんですが…..

 

大人になって振り返ると、
ずいぶん凝った遊びをしていたんだな~。
なんて思っちゃったわけです。
ただそれも遊びの一部なんで、
ビー玉工場シーズンも1、2週間。長くて3週間かな。
自然と次の遊びに移っていくんですね。

 

そんな季節ごとの遊びをこなしながら、
中学生になり….部活をやりだすと
忙しくて時間もなく….
だんだんと大人になっていったなあ。
という感じです。

 

大人になるとホントのパチンコに一時期ハマってましたが(笑

 

ボクの子供を見てると、
いまマインクラフトで同じようなことをやってるのかな。
自分の世界(基地)作りですもんね。
結構クリエイティブな能動系ゲームです。

 

次男は、こんなの作ってるんだよ~って
よく見せてくれます。
オオっ、スゴイネ!って細かくはわかんないけど
話を合わせてますww

 

自ら何かをやって人に評価されるって
とても大事ですよね。成功体験です。
それが後の主体性のある行動につながったリします。

 

カミさんは、ボクから見ると成功体験も多い人に
見えるんですが…….ぜんぜん満たされていないようでw
一人っ子で子供時代、友人も限られてたって
よく聞きます。歳上ともあまり遊ばなかったと。

 

なので、いまでも人との距離がよくわからないと
漏らすときがあります。近づきすぎてイヤな思いをしたり、
結果的に利用されてたんだ〜〜と後悔することも。

 

ボクはアニキはいたし、振り返ると
歳上、歳下ともそれなりに遊んでいたと思います。
性格もみなそれぞれ違います。

 

自然と人間関係(コミュ力)で揉まれていたのかもしれません。
イヤな思い、良い思いもたくさんしたと思います。
現在、あまり人との距離で悩むことはありません。

 

適当に付き合い、適当に距離をとることが
自然とできてるのかもしれません。
友人もたくさんいたら嬉しいけど、いなくても別に。って感じです。

 

それは、一時期いじめられた経験もあったからかもしれないです。
ボクに非はありません。どう考えても。いまでもそう思う(笑
そういう経験はそれを乗り越えると、のちに活きてくると思います。

 

子供の頃の経験ってすごく大事なんですよね。
その構図がそのまま大人の世界だったりします

 

つまづいて、その問題を解決せずうやむやになってると、
後に形を変えてそのテーマが現れると思います。

 

そこは人生で解決しないといけないカルマなのかもしれません。

 

あ〜、なんか遊びからクソ真面目な説教文になってきちゃってますが….

 

遊びも、勉強も仕事もみな同じじゃないかな〜なんて
最近とくに思うのですよ。
何かやってれば、障害はでてくるし思い通りにはいかない。
でも、一方で楽しさや達成感なんかも得られる。

 

遊びは、基本的に好きなことだから、
多少プラスの感情の割合が多いだけかなと。

 

クリエイティブな遊び:ビー玉工場ひとつとっても
すごく自分のためになっていたんだなって思いますね〜。
しかし、当時はそんなこたあ関係ありません。

 

ただ楽しいから。

遊んでたはずです(笑

 

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iroha-head

ではでは、今日はこの辺で。


追々伸:デッサン、イラスト描きに効く!本のレビュー頁を作成しました。ココ。今後もどんどん加えていきますネ。

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