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こんにちは。サイちゃんです。

 

ボクは美大受験生(浪人)の頃、もちろん美大に受かりたい!
受かんなきゃ!(親にも学費払ってもらってたし)
というプレッシャーも少なからずありました。

 

しか~~し、それより今までの時間割の決められた
堅苦しい、好きでもない(笑)勉強の繰り返し。

 

その学生生活よりははるかに
「自由で自分の好きな事ばかりできる」生活
楽しくてしょーーがなかったです。

 

ボクの友人たちも当時を振り返ってそう言ってますね。
なんだか毎日が(好きなことができる)日曜日のようだった。
いつも、すがすがしい晴れ天気ばっかのイメージがある。
(これ、面白い表現ですよね♪)
ってなことも言ってました。

 

それだけ魂が解放されて好きなことばかりできる喜びを感じていたんでしょうね。
(学科の勉強は…言わずもがな…苦痛でしたが。苦笑)

 

そういう事を(あんまり理解のない)友人にいうと「?」って思われます(笑
浪人時代が楽しい。なんて想像できないんだと思います。
ボクも毎日学科勉強ばかり2浪もしたら、そう思ってたかもしれません。

 

10代で、自分の(将来につながる)やりたい事が見つかったり、
それに向けて努力できたりっていうのは幸せなことですよね。

 

大学に行ってから、自分には何が向いているのかアルバイト等も含め、
いろんな経験をしながらそれを模索する。
そして将来の職業を考えていく。という人が多いのかなとも思います。

 

好きなことをしている時は心が開放されているので、
努力を「努力している」とたいして自覚しませんし、自然にやっています。
そして、ドンドンと上達していくし知識も自ずと増えていきますよネ~~~♪

 

ここで突然ですが、精神分析学のお話を書きます。
その分野では心の構成(スタッフ)を

・エス

・自我

・超自我

って大きく3つに分けてます。
あの有名なフロイトがそう分類した(心的装置理論)ようですね。

(⇂⇂⇂ボクが装丁担当のフロイト本です。)

ちなみにミスチルの有名な歌「es」も、このエスのことを指していますよ♪

・エスは、駄々っ子の子供ですね。あれやりたい。これやりたい。
活動の源の塊です。面倒くさいものはイヤだ。ラクしてえ~~。って快楽主義の担当です。

・自我は、エスと超自我をとりもってバランスを整える役でしょうか。
アニキ的な係。(自立の担当かな)

・超自我は、優等生の担当ですね。やるべきだ。こうあるべきだゾ。
やらなきゃいけないっていう頑固オヤジ(笑)みたいな模範的、悪く言うと堅苦しい心です。

 

この3つがうまくバランスをとって人間の心(精神)は
成り立ってるって定義してます。

 

うん。ボクも心当たりあるなあ~~。皆さんもあるかもしれないです。

 

例えば、うわあ宿題やらないと……あ~~~面倒くせえなあ~~~。
まあ一回くらいやらないでもいいか。でも先生に怒られるしな~~。
ウガガガ。そういえば、この間買ったゲームもやりたい……..
でも成績にも響いいてくるしな。しょーーーーがねえ。やるべか~~~。

ってしぶしぶ机に向かう。

 

上のようにエスと超自我、そして自我がバランスをとって
最終的には宿題をやる行動に移っています。

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人は「宿題」という行為だけでも、こんだけ葛藤があるんですね~~(笑

 

エス(快楽主義)の部分が大きすぎる人は、
これで宿題をやらずにゲームに走り、明日怒られるやもしれません。
そればっかり続くとエスに心を占領され、どんどんをラクな方を選び、
まあいいっかっって終には学校にも行かなくなっちゃう。
ところまでいくかも。バランスをとる役目の自我が弱くなりすぎ状態ですね。

 

かといって、一見よさそうな超自我ばかりが大きくなっても……

 

本当にやりたい遊びには目もくれず、宿題なんかはどんどんこなして
受験勉強も必死にやり、親が医者になれって言うから、
それに向けていい高校に行って、医大に行って親を喜ばせてあげよう。
そのためには自分の欲望なんか関係ない!

 

という例があるとします。これ、実に親孝行でこの通りになったら
親はめちゃくちゃ喜んで、この人の自尊心もくすぐられるかもしれません。

 

でも、本心では別の職業になりたくて子供の頃はみんなと同じゲームを
やりたかったのかもしれません。
ふと我に返ったときには、
アレ?これって本当に自分がやりたかった事だったのかな~

 

みたいに迷走しちゃったり…ってケースになりかねません。
エスに行き過ぎたり、超自我に偏りすぎたりすると
若干不都合がでてくるようですね。

 

そのバランスをとってるのが「自我」ですね。

我が強いの「我」とはまた違います。それは若干悪い意味で
言われがちですが、自我の方はちゃんとしたモノ(笑)

 

ボクがデッサン教室で褒められない指導を受け続け、
「自分で考え、判断し、行動する」
こういう姿勢をたたきこまれたのも、
他ならないこの「自我」部分を鍛えられたんだと思います。

 

先生にちゃんと聞いたことはないんですが….勉強家、読書家だったんで、
意図してたんじゃないかな~~。

 

浪人のときは、きっとエス(快楽主義)がホントにやりたい事と、
自分の進路(超自我の担当するやるべき、やらなきゃいけない部分)が
方向性が一緒なので葛藤がなかったんでしょうね。

 

今考えると、お金はまったくなかったし、というか欲しいものもあんまりなかった。
娯楽なんてTVとCD、映画鑑賞くらいか…(ゲーマーではなかったんで)

 

それでも十分心は満たされていました。現在で満足。ってやつです。

 

以前仕事をはじめて、好きな分野の仕事をしているとはいえ、
たぶんストレスが結構あったんだと思います。
やたら無駄使いをしていた時期がありました。

 

勢いでモノを買ってしまうんですね~。

 

服なんかその最たるもので買ってから一度も袖を通さないとか、
1回着て2度と着ない。みたいな服もけっこうありました。

 

装丁の仕事をしてるので、参考だ!と思ってジャケット(カバー)買いして、
中身なんか一回も見ていない書籍も数多くありました。

 

いま考えると相当ストレスありましたね~~。
買い物という行為でストレスを発散していたんだと思います。

ストレスが過剰になると「他」を探します。
もっと良い(この場合は楽な)位置はないか。とかとにかく
「今では満足していない」訳です。

 

それが発散行為によってバランスを保てれば
問題ないのですが、

 

発散もうまくいかないと、それが焦りにつながってきます。

 

買い物依存とかの依存症も何かに依存していないと精神を保てない….
「今」がイヤなわけですね。そうでなければ依存することもないですし、
過剰な無駄買いもしません。

 

ボクは自分自身が浪費が始まったりしてきたら、かなりストレスたまってるな。って
バロメーターにしています。ここ数年は服も必要以上に欲しいと思わないし、
無駄使いもしてないですね。
割と「今」に満足してるのかな~~~。

 

いやいや、きっと満足してる「懐」ではないんでしょう(爆

 
追伸:デッサン、イラスト描きに効く!本のレビュー頁を作成しました。ココ。今後もどんどん加えていきますネ。
 
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ではでは、今日はこの辺で。

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